酴ブログ/2021-06

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2021/6/28 (月)

脅威は煩悩(ぼんのう)にあり…

 前回の「憑依現象」のレスポンスは、ゼロだった。一人でも興味があれば数回に分けて詳述しようと考えていたが、残念であった。頭を切り替えて「煩悩の脅威」に少し言及しよう。煩悩は、所謂魔界誘導で人間の脳を強く支配する極めて面倒な負の象徴である。

 魔界誘導とは、人間を駄目(脳の混乱・迷走・凍結・破壊など)にする操作で、非常に危険である。すべての人間が例外なく無抵抗で影響を受けている。つまり、人間の行動の95%以上は、魔界の意のままに動かされている。操り人形だ。悲惨だが、これが現実である。  

 煩悩は、総じて「欲塊」として具現化する。強い自律意識を有する人が抵抗しても短時間で弱体化させられる。また、抵抗の反作用は最大の脅威で、自律は一瞬で殲滅される。自律が消えれば腑抜けになる。近年の欲塊は急速に膨張している。あなたは大丈夫か?


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2021/6/24 (木)

重大な過失や傷病の原因は憑依現象…

 転落人生を余儀なくされる人は、非常に多い。また、突然陥る生命に関わる病気や怪我も無数に生じている。これらのマイナス事象の原因は、果たして何だろう? 多くの人々は、偶然だとか行いが悪いからなどと理由付けしたり、運命だろうと諦めている。

 本当の原因は、憑依現象にある。まさかと思うだろう。迷信だと言うだろう。そして、馬鹿げた解釈だと嘲笑するだろう。解釈は自由だが、時には客観的な視点から冷静に見聞してみるといい。脅すつもりはないが無知は、破滅を招きやすいので要注意だ。

 「憑依」は、巷に蠢く悪霊(浮遊霊・地縛霊・妖怪など)が人に憑りつくこと。「憑依障害」は、結果として生じる苦痛や苦悩や死亡のことである。憑依された実感はない。だから霊現象と思う人はいない。現実を受け止めるしかない。だが「憑依封じ」は可能である。 合掌


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2021/6/18 (金)

16日振りに外出した…

 先月まではよく車で出かけたが、6月に入ってから外に出てたのは一度だけ。今日は、気分がよかったので食料調達に出た。7件の店を廻るのに3時間半以上もかかり、クタクタになった。やはり筋力不足である。ボケナスに成り下がった自分のからだが忌々しい。

 午前中は霊符制作、午後は原稿を書き、夜は心経彩図の下図引きがずっと続いている。むさ苦しくも快適な時間を感じている。そして、とても楽しい。やはり独りが一番いい。これからは、友人も仲間たちもいらない。8ヵ月かけて縁切りを通告してきた。

 今年中には、誰もいなくなる。孤立無縁になるのが希望だが、なかなか難しい。無人のポツンと一軒家を探すしかないか? 海辺がいいと思っていて、体力が回復したら終の棲家の探索を始めよう。変わり者の爺の戯言に終わるかも知れないが、冒険である。 合掌


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2021/6/14 (月)

「心経彩図(しんぎょういろどりず)」の原字構成の決定…

 簡略化の発想の中で浮かび上がった「原字表現」の基本構成が、漸く決まった。計算上で故意に誤差を生じさせ更に不規則に変容させることで、人間界の常識を希薄にする方法を考え出した。「心経彩図」は、魁に過ぎないが久々に会心の発見であった。

 霊界の一辺が朧ながらでも目視できるような「図」が描けたら本望である。禅やヨガや瞑想や精霊融合などは、霊界の入り口に立つための技法であるが、行為を重ねれば誰でも実現可能なことである。一時的でも煩悩を遮断できれば、決して難しいことではない。

 天門庵のプログラム(講義)では語らなかったが、今後は、折に触れて言及しようと思う。霊界の入り口に立つとは、爽快や安寧に包み込まれる状態のことで、レベチの自分と出会える。いずれ完成する甦遡角字「心経彩図」は、霊界入口への誘導図である。乞うご期待



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2021/6/9 (水)

近い未来の目標やゴールの設定放棄について…

 意欲や行動の原動力だった明確な目標や到達想定を意識から外した。理由は、必要がなくなったということで、チンタラを決めた。片意地を張るのをやめたということですよ。つまり、他人や世間のあらゆるしがらみや面倒くさいものを外したということです。

 背負っていた重荷を放棄することで自分の未知の内側を探索する。封印されていた「過去世の個性との再開」は、人間的には極めて危険な行為なのですが、魂の世界では上昇のための普通の行為です。人間の世界の死の向こう側に歩を進めたわけですよ。

 当初は二面性で行くのですが徐々に向こう側が主体になり、その後は、人間界側が少しずつ透明になり終いには消滅します…以下削除


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2021/6/5 (土)

原稿を書き始めてから知った自分のこと…

 繰返された天啓により、5月半ば頃から書き始めたものがあります。5月は、新しいことを始めてはいけない時期であることを知りながら、天啓の誘導に従ってペンを執りました。怖さはなく、気負いもなく初期のライターに戻ったような新鮮な感覚でした。

 プロローグからエピローグまでの構成は、立体パズルを解くかのようにするすると頭の中に現れました。数百年前の自分の脳に出会ったことに気づきました。一般的にはあり得ないことですが、わたしの中では、時々生じる現象でした。何故か嬉しく思いました。

 引退してから8ヵ月経って気づかされたのは、いらない自分の存在でした。もはや殆どの人は、わたしの霊力を必要としていない。今のわたしは、30年前のわたしではない…。当たり前のことですが、急速に変貌する社会と同じように、わたしも変わったのです。 

 すべからく諸行無常です。原稿を書き進めながら…以下削除


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